梅の花が、雪に・・・。
実家の裏庭にある古い梅の木の花が咲いていた。
さっそく、カメラを取り出して撮影したのですが、その最中に「3月の雪」が降ってきて、花の周りを舞っていました。
まあ、名残雪だなあと思いながら窓を閉めてFacebookにアップしようと思ったが、時間をとれなくて今朝までカメラの中に。
目が覚めて、窓から外を見ると薄ら雪が積もっている。気になって梅
木を見に行くと。
季節は進んだり、あゆみを止めたり、少し後戻りをしたり。
でも、確実に変化している。季節は流れ、淀みなく流れる。
生活も変化しなければ、進まないね。
日本の経済戦略はまちがい。
GDP偏重のアベノミクス
ヒトが充実した人生を送るのに役立つ教育力と、経済が高い生産性を維持するのに必要な企業設備や道路港湾などの諸設備の水準が、日本は他のいかなる国より高いのである。
一人当たり国内総生産GDP(二〇一三年)を見ると、調査機関によって多少の違いはあるが、シンガポールの方が日本より上で、今後の経済成長率と為替レートの変化 を考えると、韓国や台湾が一人当たりGDPで日本を抜く日はそう遠くないと思われる。日本の順位は二十四位から二十八位で、世界一位の人的資本や生産した 資本に比べ、全く振るわない。この差は何によるのか。
最も大きな要因は高齢化である。基本的にはもう働かない、六十五歳以上の人口が二五%にものぼるためだ。一九九七年以降、日本ではますます就業者 数が減っている。働く人が作った生産高を、(働かない人の数をも含めた)全人口で割ると、一人当たりの生産高(GDP)はどんどん小さくなる。単純な算数 の計算問題であって、日本人の生産能力が落ちたからでも、日本経済が「失われた二十年」を送ってきたからでもない。
総人口も減っているので、総消費額にも減ろうとする力が働いている。経済は生産と消費(供給と需要)で成り立つが、その両方とも増えにくくなっているのだ。
現在、安倍内閣は依然として「二%の成長戦略」を目標に掲げ、いくつかの審議会を作って戦略の練り上げに余念がない。だが、二〇一四年十月九日 に、民間のエコノミストたち約四十人の経済予測を集計した調査によると、一四年度の成長率は平均〇・三四%で、二%とは程遠いが、これは最近になって、弱 気のエコノミストが増えたからではない。人口面だけみても、これからの日本に生産高を拡大する意味での「成長」はありえないのだ。そして、それは当然のこ とで、別に構わないのである。
文藝春秋SPECIAL 2015年季刊冬号
引用が長くなりましたが、GDPの経済指標を振り回して「アベノミクス」を日本の経済戦略と言っていること自体が、今の日本の姿、これからの日本を見ていない証拠です。
「経済成長をし続けなければならない」という古い思い込みから自由になる
是非全文を読んで下さい。
早起きへのモチベーションを高めて、人生をより豊かに成功へと導こう!
1 朝はエネルギーに満ちあふれており、クリアな心で物事を判断することができる!
遅く起きた朝というのは大概やる気も出ずうだうだ時間を無駄に過ごしてしまいがち。さらに夜になれば友達からの誘いや、家族からのかまってちゃん攻 撃。もしかしたら恋人だって迫ってくるかもしれない・・・。そんな色んな誘惑が邪魔するときに仕事するなんてもってのほか。朝早く起きてやるべきことは さっさと片付けてしまおう!その後の余った時間も有効に活用することができるはず!
2 せわしなく一日を過ごすなんて美しくない!
燃えるようにてんやわんやしながら始まる一日なんて美しくない!遅くに起きてしまったらもうゆっくりしたペースなんて取り戻せない。朝早く起きれば 焦らずのんびり準備できるでしょ?通勤しながら食べる朝食よりも、テーブルで落ち着いて食べる朝食の方が美味しい。散歩したりエクササイズしたり。美しい 朝焼けだって見ようと思えば毎日見れるものなのだ!
3 朝は独りで片付けられるタスクをこなすのには最適な時間帯!
メールの返信、掃除、片付け、読書、洗濯、家でやらなきゃと思ってることのリストを仕事が終わった後に追いかけていくのなんてめんどう過ぎる!朝早くおきてできるだけ片付けてしまえば、仕事が終わった後はまったり過ごせる!
4 タスクを朝早くにこなすことで得られる達成感は最高!その日のモチベーションがアップする上に一日の残り時間も稼げる!
スケジュールがギチギチに詰まってどうしたらいいか分からなくなることもあるけれど、そんなときの解決方法のひとつはやっぱり早起き!緊急事態が発生してもいつもより数時間多く一日を使えるのだから!
5 ありのままの自分で居られる時間を手に入れることができる!
早朝に周りを気にする必要なんてない!早く起きた朝は孤独だけど、自分を偽った表情なんて作らなくてもいいし、自分の行動や、発言に注意する必要も ない。ありのままで居られる時間は自分自身をもう一度見直させてくれる最高の時間!誰にも見られていない時間は現実世界の喧噪を忘れてリラックスさせてく れる!
6 早朝は全てにおいて効率的!
早朝にこそ集中力は激しく高まる!なぜなら普通の人が寝ている時間は、世界のほとんどは同じく眠っているか、動いていないようなもの。ちなみに最も効率的な働き方は二〜四時間の決まった間隔を休憩や気晴らしなしに一気に駆け抜けること!
7 早く始めるということは、早く終われるということ!その分楽しめる!
大人になると沢山の責任が降り掛かってくる。いつもやりたいことの代わりに片付けなければならない仕事が沢山ある。幸福で生産的な人生は時間管理に かかってる!早く起きてさっさと仕事を片付けて自分のやりたいことをしなきゃいけない!したいことができずに毎日仕事に追われるなんて惨めだ!賢く時間を 管理して時間を有効に使おう!
8 早く疲れる分、早くベッドに入って良質な睡眠が取れる!
早く起きれば早く疲れる。早くクタクタになって早く寝ればそれだけ良質な睡眠を取ることができるし、必要な睡眠時間を多く確保することもできる!
9 今まで体験できなかった時間を過ごすことができる!
早起きしたことがないのだとしたら、あなたは夜明けの素晴らしさを知らないまま!鳥達の一日の最初のさえずりを聴くことや、朝焼けの美しさを知ることもできないまま生きてしまうなんてもったいない!
朝に考え、昼に動き、夕方に読み、夜は寝る
仕事に追われて自暴自棄になる日々にもこれでおさらば!朝焼けを見ながらゆったりした気分で一日の準備をはじめようじゃないか!
・朝起きたらカーテンを開けよう。
・暖かい飲み物を飲もう。
・夜寝る前の飲食は控えよう。
・寝る時の姿勢を変えてみよう。
・規則正しい生活を心がけよう
「武生国際音楽祭」音楽監督:作曲家 細川俊夫さんからのFacebook転載
日本人が日本の内部から国際的に通用する作曲家、演奏家を育てて、世界に向けて発信していく
「武生国際音楽祭は、たくさん現代曲をプログラミングしているといわれますが、世界の有数音楽祭に比べると、まだまだ保守的なプログラミングなのです。ル ツェルン音楽祭の音楽監督ミヒャエル・ヘフリガーは、もう20年以上も僕の親しい友人ですが、彼がルツェルン音楽祭を引き受けたときに、どの演奏会にも1 曲は必ず20世紀の音楽を入れる(ストラヴィンスキー,バルトーク、ドビュッシーも含む)と言っていました。毎年のコンポーザー・イン・レジデンスやル ツェルン・モデルンという名での先端的な現代音楽のシリーズ、さらにブーレーズを監督とするルツェルン・フェスティバル・アカデミー・オーケストラ(今年 の指揮はサイモン・ラトルやハインツ・ホリガー)と新しい音楽を受容し、生み出し、それを若者に伝えていこうという意志には、並々ならぬ情熱を感じます。 ところが日本人の音楽ファンや批評家は、ルツェルン音楽祭やザルツブルク音楽祭に行っても、一切そうした創造的な部分には触れようともせずに、古典の音楽 会に通い続けるのです。昨年の夏にザルツブルク音楽祭で武満さんと僕の音楽の特集でも、日本人はほとんどど のコンサートにも顔を出しませんでした。そういう日本の歪んだ西洋音楽コンプレックスと、有名なもの、売れるものにしか興味がない想像力の欠如に対して、 ぼくたちの力はあまりに非力で抵抗することはできません。日本人が日本の内部から国際的に通用する作曲家、演奏家を育てて、世界に向けて発信していく、と いうようなことは、現時点ではまず不可能なことだと思います。
武生国際音楽祭のプログラミングは、ごく普通のプログラミングで、決して特別なものではありません。音楽祭の80パーセントは古典音楽です。しかしこの あたりまえなことを実現するにも、多くの苦労があり、いまだに子供でもわかる曲目をたくさん入れてほしいと、僕につっかかってくる攻撃的なお客さんもいる のです。それでも音楽祭が持続できているのは、武生の内部にほんとうに理解があり、僕たちの考えを支持してくれる人たちがいてくれること。そしてその考え を最高の演奏で実現してくれる素晴らしい演奏家と、それを支える最高の劇場スタッフたちが集まってくれていることです。そしてその音楽を喜んで味わって毎 日通ってくれる素晴らしい聴衆もいます。今年の演奏のレヴェルは、間違いなく世界的なレヴェルでした。毎年、演奏のレヴェルが成熟していくのを感じていま す。音楽祭も成長するのです。そしてその成長に、若い演奏家と作曲家が強い刺激を受けます。
しかし経済的にはたいへんで、毎年来年開催できるかどうかもわからないのです。毎回いろんな苦労があり、もう音楽祭をやめよう、という声もあがるのです。しかし止めたら、この成熟して来た音楽祭そのものの「いのち」はどこにいってしまうのだろう。困難は続きます。
今年の音楽祭で受けた多くの感動。それが音楽祭を支える最も大きな力になります。武生に集まった素晴らしいみなさんに心からの感謝を捧げます。」作曲家 細川俊夫
トオルのピアノ
数年目の武生国際音楽祭のポスターのデザインは、福井県越前町にアトリエを構えている画家の宇佐見圭司さんだった。その画は既にウエブ上でも見つけることは出来ない。2012年までのアーカイブしか存在しないからだ。25周年と言われるこの武生国際音楽祭ですが、その足跡は2年前までしか遡ることが出来ない状況は、やはり過ぎ去った事への愛情は?と思わざるを得ない。
さて、僕がその宇佐見圭司さんと知り合ったのは全くの偶然だった。取材で越前海岸を車で走っていたとき、山の方に向かう一本の道を見つけた。ふとハンドルを切り山の上へ向かった。本当に偶然だった。山の上に登ると視野が広がり、眼下には日本海が広がっていた。そこから少し下ると、美しい建物が在った。それは本当に入り口もひっそりとあり、山の上から日本海を見渡せる斜面にあった。
ちょっとその家の前に佇んでいると、中から「何か?」という女性の声が。ここへ来た経緯を述べて、この場所の感想を話していると女性はここはアトリエとして作った家で、ご主人は東京の大学で教えていて週末ここに戻るのだとおっしゃった。そして、このアトリエの主が画家の宇佐見圭司さんだと言うことを彼女(宇佐見さんの奥様・爽子さん)からお聞きし、後日アトリエにお邪魔しお話を伺う約束してその日はアトリエをあとにしました。
翌週ご自宅にお電話し、午後には宇佐見さんも東京から戻ってるからというので、アトリエに再度お邪魔することに。
家の中をぐるっと紹介されて、お二人のアトリエ(奥様も作家です)を拝見させていただき、最後に南側にある小さな部屋に案内された。日本海が見渡せるこぢんまりとしたシンプルなお部屋だった。そこで、美味しい珈琲と甘いお菓子を頂いていると部屋にピアノがあるのに気がついた。アップライトピアノで右手に海が見えるように置いてあった。
「ピアノをお弾きになるんですか?」
「いいえ弾きませんよ。このピアノはある人がここに来て使えるように置いてあるんです。」
「そう、トオルがここに来て海を見ながら、山を見ながら作曲が出来るようにと置いてあるんですよ。」
「私たちは、このピアノを『トオルのピアノ』と呼んでいるんです。でもね、まだ一度も使ってもらったことがないの。」
トオルとは、宇佐見さんと親交の深かった作曲家武満徹だった。
武生国際音楽祭は武満徹さんとも関係が深かった。僕自身武満徹さんのインタビューというか話を聞いたのは数回しか無い。最初は大津西武の開店記念のイベント「MUSIC TODAY」で。そして仁愛女子短期大学の記念演奏会での楽屋でのインタビュー、そして武生国際音楽祭にゲストとして来られた時。その時のプログラムは何処へ行ったのか?
印象深い話があって武満さんに「わかりやすい音楽を聴きたいという人が多いのだけれども」という現代音楽への聴衆をどう増やせるかのお話を聞こうとした時である。
「僕の曲がわかりにくくて、という話はわかります。だったらバッハ、ベートーベンはわかりやすいのですか?僕は今でもベートーベンの曲を聴く度に考えてしまいます。何を伝えようとしてるのかこの音楽は?って。彼らの曲に勇気づけられ新しい発見を示唆されます。まだまだわからないことばかりです。だから音楽をやってゆくのかもしれません。」
そういう武満さんがこのピアノからどんな音楽を生み出そうとするのか。宇佐見ご夫妻のお話をお伺いしてると、部屋の隅にあるピアノに向かって音楽を創っている武満さんを創造してしまった。この部屋から創る音楽を聴いてみたかった。
「トオルのピアノ」は一度も彼に弾かれること無くこの部屋にあります。
「トシオのピアノ」を用意するのはタケフだったらいいのに。とずっと思っています。
やさしい聴衆と。
武生国際音楽祭2014。9月9日(火)は4日目のこと。
昨日は、Hilliard Ensembleの公演だった。今年の目玉は昨夜の演奏会なのですがこの話は又の機会にして、今日はこの日のメインコンサートは伊藤恵さんがプロデュースするシリーズの2回目「モーツァルト、ブラームス、ヴェーベルン 室内楽の醍醐味」。
プログラムは
W.A.モーツァルト | ヴァイオリンソナタ ホ短調 K.304 | (ヴァイオリン 山田晃子、ピアノ 伊藤恵) |
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A.ヴェーベルン | ヴァイオリンとピアノのための4つの小品 作品7 | (ヴァイオリン 山根一仁、ピアノ 石川星太郎) |
A.ヴェーベルン | チェロとピアノのための3つの小品 作品11 | (チェロ 横坂源、ピアノ 石川星太郎) |
J.ブラームス | ヴィオラ・チェロ・ピアノのための三重奏曲 イ短調 Op.114 | (ヴィオラ 赤坂智子、チェロ ヨーリス・ベルク、ピアノ 津田裕也) |
W.A.モーツァルト | クラリネット五重奏 イ長調 K.581 | (クラリネット ミッシェル・ルティエック、ヴァイオリン 山田晃子、ヴァイオリン 会田莉凡、ヴィオラ 今井信子、チェロ 横坂源) |
印象深い演奏は
A.ヴェーベルン | ヴァイオリンとピアノのための4つの小品 作品7 | (ヴァイオリン 山根一仁、ピアノ 石川星太郎) |
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山根一仁の演奏は、触れれば壊れそうな繊細な音を神経質ではなく、まるでガラス細工を創るように弾いた。華奢な体つきの彼だからでは無くて、聴くこちら側もその繊細な音作りに共鳴してしまうような空気感が強く印象に残りました。
次に
W.A.モーツァルト | クラリネット五重奏 イ長調 K.581 | (クラリネット ミッシェル・ルティエック、ヴァイオリン 山田晃子、ヴァイオリン 会田莉凡、ヴィオラ 今井信子、チェロ 横坂源) |
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最後の曲でしたが、最初から聴衆が音楽に一体となる空気が出来上がっていた。音の始まりの緊張感から、最後の音が消えるまでの集中感を演奏家、聴衆が共有出来た演奏でした。
演奏家にとって聴衆はどのような役割を持っているのだろうか?一度演奏家の方にインタビューしてみたいものです。
同じ空間で音楽を媒介としながら、同じ空気を吸っている、空気の響を聴いている演奏会と聴衆の関係。レコーディングとは違った雰囲気なのでしょうか?
しかし、演奏家の呼吸に合わせて音楽を聴いてる聴衆って、演奏会にも音楽にもやさしい聴衆だと思います。
しかしながら、プログラミングのコンセプト、演奏家のセレクト、全体の構成。伊藤恵氏のプロデュースの力はスゴイ。
耳を離せない武生国際音楽祭の理由はここにあるのでしょうか。
明日は、「武満徹とフランス音楽」
聞きのがせないプログラムです。
天野祐吉さん、ありがとうございました。
天野祐吉さんのこと
天野祐吉さん死去 「広告批評」「CM天気図」
朝日新聞デジタル 10月21日(月)5時1分配信
天野さんと初めてお目にかかったのは、当時勤務していたFM福井で「コピーライター大賞」という事業を企画した時でした。
当時購読していた「広告批評」(マドラ出版)と文化放送が同じように「コピーライター大賞」を開催されており、まあ地方局のFM局が二番煎じで同じ事を地方で行おうと浅はかに考えて準備を始めていた頃。
とりあえず、選考している文化放送というより、愛読している「広告批評」に仁義を切りに行かなくては、と思い当時南青山だったと記憶するが、「広告批評」の編集部にお邪魔し、「天野編集長にお目にかかって、お願いしたい」と失礼にも電話でアポを取り、編集部にお邪魔しました。
唐突に「FM福井で『コピーライター大賞』を開催したい。ついては『広告批評』のご協力をお願いしたい。予算は無い。でも個人的にはずっと創刊から『広告批評』を愛読して、天野編集長にお知恵を借りたい!」と虫のいい話を、蕩々と述べてしまった。
当時の副編集長島森路子さんは、困惑した表情で「でも、既に文化放送さんと共催で同じようなことをやっていますしねえ。」と。もっともなことである。そのとおりです。重々承知の上です。
「いいんじゃないの。文化放送はAMだし、FM福井さんはFMだし。それにエリアも違うし。バッティングするところ無いよ。やりましょう!でも、『広告批評』としてやるのは、ラジオはこれで終わりにしましょう。AMもFMもふたつともやったたし、キー局もローカル局もやったし。やりましょう!」と天野編集長。
文化放送と比べても、東京と比べても、まあ違う条件だと言えば、全く違う。しかし、天野さんは「ラジオはラジオ。一緒ですよ。」と仰って頂けた。
「審査員は地元から一人は必要だね。後の審査員は僕たちに任せて頂けるかな?さっそく始めよう!」
こうして、後々社内的には「無謀な!」と徹底的に攻撃された、「FM福井第1回コピーライター大賞」のプロジェクトは、天野さん、島森さんの強力な応援によって始まった。
後日島森さんからファックスが届き(メールは当時無かったなあ)「審査員には、糸井重里さん、川崎徹さん、仲畑貴志さんでどうですか?」恐るべし『広告批評』パワー。その時期、旬というかトップ3のコピーライターをまとめてブッキングし、福井に送り込んで来る荒技をかけてきたのでした。福井の広告界のとっても大激震!でした。
(その後スケジュールの都合で仲畑さんだけが福井に来て公開審査には参加できませんでした)
その後、その当時のコピーライターブームのおかげで、応募作品がぞくぞくと全国各地から寄せられ、多くの作品が集まりました。これを忙しい人気コピーライターの審査員の皆さんが一つ一つ選ぶことは時間的にも難しいということで、一次審査を天野さんと島森さんとこの私が行うことになり、『広告批評』編集部でその選考会を行うこととなりました。送られて来た山のような作品を段ボールに詰め込んで、編集部で始めようとしましたが、あまりの多さに狭い編集部は紙だらけに。そこで、天野さんは「場所を変えよう。僕の部屋でやりましょう。」と一言。その後、編集部の近所にある天野さんのマンションにその段ボールを島森さんと一緒に運び込み、夜になってから作業を始めることに。
間接照明が効果的な天野さんのプライベートルームで第1次審査が始まった。方法はこうです。最初に僕と、島森さんがこれかな?という作品を選びます。その後、選にもれたものを再度天野さんが読みます。そうして復活する作品が加わります。それから又選んだものをもう一度全員で読み直し、その中でこれはと思うものを残します。かなり手間と時間が掛かる方法です。
「本当の広告ではコピーライターが何回も何回も書いているんです。その中から幾つかをクライアントへプレゼンする。一回や二回じゃないですね、広告のコピーって。だからその密度に対応しなければならないんですよ、選ぶ側は。エネルギーいるはずです。ちょっと休憩にしましょう。」
そう言って、甘いお菓子と、美味しいお茶を、島森さんが入れてくれて、天野さんはとっておきのBGMを聴きながら選ぼうと言って、ヴェルディの「La traviata」(椿姫)のCDをかけた。
薄暗い部屋なので(コピーを読むテーブルだけはスポットがあたって明るいが)オーディオ装置は見えないが、本当にいい音でヴェルディが聞こえてきた。
オペラを聴きながら、コピーを読む時間がしんしんと過ぎて行く。
そして、各自選んだ作品を声を出して各自読んで、他の人に披露する。で、今で言う「いいね」となれば一次審査通過作品として残って行く。
「ラジオCMだからね、耳で聞かないと伝わらないんだなあ。言葉を音として聴かなきゃわからないからね。」と天野さん。
濃密な時間が、過ぎていった。
考えてみれば、天野祐吉さん、島森路子さんと同じ空間で同じ時間を共有できた体験を今になってみてかみしめることが出来た。お二人とも亡くなってしまったが、この体験は本当に僕の宝物です。あのときの音楽も、部屋から見えた東京の夜景も、お二人が読むCMのコピーの言葉も、得がたい事でした。
天野祐吉さんありがとうございました。合掌
最後に、仕事場の壁に貼ってある天野さんのトークショーの記事をご紹介します。
モノトーンの写真を見るように シューベルト「冬の旅」ビオラ・ピアノ・ナレーションによる
モノトーンの冬の世界が映る舞台
音楽祭7日目のメインコンサート。
シューベルトの「冬の旅」を、ビオラ:今井信子、ピアノ:伊藤恵、ナレーション:栗塚旭で全曲演奏。2012年大阪フェニックスホールでの再演であるが、この独特の形式の芽はこの武生国際音楽祭の2011年の公演で今井信子自身が、武生で生み出していた。
詩というテキストが基本の歌曲を、ナレーションが数曲先行して語り、その後ピアノとビオラんぽ音で語って行く。
「失恋」という人間の契機を幾つかの詩で綴って行くこの「冬の旅」。今回の演奏はテキストを予め観客に渡しておき、ナレーションに耳を傾けテキストを目で追えるように配慮していた。
1曲目の「おやすみ」から、ピアノの音がモノトーンとして見えてきた。凜としたピアノの音に続く今井信子のビオラはその絵に冷ややかな空気を送る息のように、空間を伝わる。
このように、ステージは一環として不要な色彩を入れず、ナレーションも同じように若者の失恋に対する感情をその印画紙に写して行くように、浮かび上がって音楽の上に浮かび上がる。単調に聞こえそうだが、その中の音のグラデーションの豊穣さに耳が奪われる。同じ旋律が全く別物のように耳に映る。
そのように、「冬の旅」全曲が一幅の長尺の写真のように目の前に展開される。言葉は饒舌で無く、音楽は華美で無く、感情を表に出すことは少なく、控え目な表現が一層若者の「失恋」を聞き手に奥深く心に差し込む。
最後の曲「辻音楽師」。ピアノの音は冷たい霧の向こうから聞こえてきた。ビオラの歌声はつぶやくように、無駄な装飾を排除した「人の生の声」としてその凍てついた辻の向こうから聞こえてきた。しかしその姿は見えず、映像は凍てつく空を写す。
ライヤーは回り、言葉も映像も回る。カメラは一幅の写真から離れ、暗転した舞台になる。最後の音が風のように聞こえた。聞こえないのに聞こえる音楽。
シンプルでいてこれだけの映像を見せる演奏にはそう出会えない。歌うより歌わない事が伝わる結果でありました。
ビオラの今井信子、ピアノの伊藤恵、ナレーションの栗塚旭。三位一体の舞台でした。
武生国際音楽祭 8月31日(土) 19時00分〜
越前市文化センター 大ホール
「時には海を見よ」と2年前の卒業式の話
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司