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日常の「思い」を文字にして残します

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「武生国際音楽祭」音楽監督:作曲家 細川俊夫さんからのFacebook転載

日本人が日本の内部から国際的に通用する作曲家、演奏家を育てて、世界に向けて発信していく

 

「武生国際音楽祭は、たくさん現代曲をプログラミングしているといわれますが、世界の有数音楽祭に比べると、まだまだ保守的なプログラミングなのです。ル ツェルン音楽祭の音楽監督ミヒャエル・ヘフリガーは、もう20年以上も僕の親しい友人ですが、彼がルツェルン音楽祭を引き受けたときに、どの演奏会にも1 曲は必ず20世紀の音楽を入れる(ストラヴィンスキーバルトークドビュッシーも含む)と言っていました。毎年のコンポーザー・イン・レジデンスやル ツェルン・モデルンという名での先端的な現代音楽のシリーズ、さらにブーレーズを監督とするルツェルン・フェスティバル・アカデミー・オーケストラ(今年 の指揮はサイモン・ラトルハインツ・ホリガー)と新しい音楽を受容し、生み出し、それを若者に伝えていこうという意志には、並々ならぬ情熱を感じます。 ところが日本人の音楽ファンや批評家は、ルツェルン音楽祭やザルツブルク音楽祭に行っても、一切そうした創造的な部分には触れようともせずに、古典の音楽 会に通い続けるのです。昨年の夏にザルツブルク音楽祭で武満さんと僕の音楽の特集でも、日本人はほとんどど のコンサートにも顔を出しませんでした。そういう日本の歪んだ西洋音楽コンプレックスと、有名なもの、売れるものにしか興味がない想像力の欠如に対して、 ぼくたちの力はあまりに非力で抵抗することはできません。日本人が日本の内部から国際的に通用する作曲家、演奏家を育てて、世界に向けて発信していく、と いうようなことは、現時点ではまず不可能なことだと思います。
 武生国際音楽祭のプログラミングは、ごく普通のプログラミングで、決して特別なものではありません。音楽祭の80パーセントは古典音楽です。しかしこの あたりまえなことを実現するにも、多くの苦労があり、いまだに子供でもわかる曲目をたくさん入れてほしいと、僕につっかかってくる攻撃的なお客さんもいる のです。それでも音楽祭が持続できているのは、武生の内部にほんとうに理解があり、僕たちの考えを支持してくれる人たちがいてくれること。そしてその考え を最高の演奏で実現してくれる素晴らしい演奏家と、それを支える最高の劇場スタッフたちが集まってくれていることです。そしてその音楽を喜んで味わって毎 日通ってくれる素晴らしい聴衆もいます。今年の演奏のレヴェルは、間違いなく世界的なレヴェルでした。毎年、演奏のレヴェルが成熟していくのを感じていま す。音楽祭も成長するのです。そしてその成長に、若い演奏家と作曲家が強い刺激を受けます。
 しかし経済的にはたいへんで、毎年来年開催できるかどうかもわからないのです。毎回いろんな苦労があり、もう音楽祭をやめよう、という声もあがるのです。しかし止めたら、この成熟して来た音楽祭そのものの「いのち」はどこにいってしまうのだろう。困難は続きます。
 今年の音楽祭で受けた多くの感動。それが音楽祭を支える最も大きな力になります。武生に集まった素晴らしいみなさんに心からの感謝を捧げます。」

作曲家 細川俊夫

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