何時も思うこと。今日思うこと。

日常の「思い」を文字にして残します

日常の「思い」を文字にして残します

モノトーンの写真を見るように シューベルト「冬の旅」ビオラ・ピアノ・ナレーションによる

モノトーンの冬の世界が映る舞台

 音楽祭7日目のメインコンサート。

シューベルトの「冬の旅」を、ビオラ今井信子、ピアノ:伊藤恵、ナレーション:栗塚旭で全曲演奏。2012年大阪フェニックスホールでの再演であるが、この独特の形式の芽はこの武生国際音楽祭の2011年の公演で今井信子自身が、武生で生み出していた。

 詩というテキストが基本の歌曲を、ナレーションが数曲先行して語り、その後ピアノとビオラんぽ音で語って行く。

 「失恋」という人間の契機を幾つかの詩で綴って行くこの「冬の旅」。今回の演奏はテキストを予め観客に渡しておき、ナレーションに耳を傾けテキストを目で追えるように配慮していた。

 

f:id:anijapan:20130831214613j:plain

  1曲目の「おやすみ」から、ピアノの音がモノトーンとして見えてきた。凜としたピアノの音に続く今井信子ビオラはその絵に冷ややかな空気を送る息のように、空間を伝わる。

 このように、ステージは一環として不要な色彩を入れず、ナレーションも同じように若者の失恋に対する感情をその印画紙に写して行くように、浮かび上がって音楽の上に浮かび上がる。単調に聞こえそうだが、その中の音のグラデーションの豊穣さに耳が奪われる。同じ旋律が全く別物のように耳に映る。

 そのように、「冬の旅」全曲が一幅の長尺の写真のように目の前に展開される。言葉は饒舌で無く、音楽は華美で無く、感情を表に出すことは少なく、控え目な表現が一層若者の「失恋」を聞き手に奥深く心に差し込む。

 最後の曲「辻音楽師」。ピアノの音は冷たい霧の向こうから聞こえてきた。ビオラの歌声はつぶやくように、無駄な装飾を排除した「人の生の声」としてその凍てついた辻の向こうから聞こえてきた。しかしその姿は見えず、映像は凍てつく空を写す。

 ライヤーは回り、言葉も映像も回る。カメラは一幅の写真から離れ、暗転した舞台になる。最後の音が風のように聞こえた。聞こえないのに聞こえる音楽。

 シンプルでいてこれだけの映像を見せる演奏にはそう出会えない。歌うより歌わない事が伝わる結果でありました。

 

 ビオラ今井信子、ピアノの伊藤恵、ナレーションの栗塚旭。三位一体の舞台でした。

f:id:anijapan:20130831215207j:plain

 

武生国際音楽祭 8月31日(土) 19時00分〜

越前市文化センター 大ホール