何時も思うこと。今日思うこと。

日常の「思い」を文字にして残します

日常の「思い」を文字にして残します

何を作るか?「応用」の時代に生き残るために

 日本の製造メーカーは、日本市場の中でのシェアを気にしすぎて、国内競争に目を向けてばかりだった、結果国際競争の相手である海外メーカーと無策の提携を行って、自分の足下を見失うどころか失ってしまった。

 以前、Panasonicのテレビ部門と新しい情報提供システムを構築したとき、僕はIP網でのコンテンツ配信を説明していたときに、担当者が「そんな、方式を採用したらテレビはただのディスプレイになってしまうじゃ無いですか。そんな方式はテレビ事業としては通りませんよ!」と声を荒げて反発した来たことを思い出す。コンテンツは汎用性の無い(日本だけか)BMLを採用してくれと言う。IP網では無く同軸ケーブル上でCATVと同じ仕様で進めたい。

 そのために、安価な装置から高価な放送容器材を使うように仕様を変更してくれと言う。僕は、HTMLで動画からテクストデータまで汎用性のあるコンテンツにして、ディスプレイと化した大型テレビにセットトップボックスではなくパソコンを繫げ、IPネットワーク上でIP管理した、今で言う「デジタルサイネージ」端末を強く押したが、日本のお家芸のテレビでなければこのプロジェクトは降りるとまで言われ、経産省の役人からも「これは国策ですから」と言われ、テレビをディスプレイ化する手法は没になった。

たった、7年前のことである。

 現状はどうですか?スマートテレビと言われるテレビは既にディスプレイ化してるし、動画はインターネット経由で家庭に入り込んでいる。国を挙げての「地上波デジタル化」はコンテンツの貧弱さか、ネット上のコンテンツの大河に飲み込まれて、その存在意義すら怪しくなっている。好きな動画はスマホで見ることが出来る。そんな時代を予感していたのに、「国策」という無策な手法で遠回りさせられた。

 テレビはもう単にネットワークの下流にある「ディバイス」になっている。これから、日本の製造を考える時にこのディバイスをどう「応用するか」という所に力を込めないと、コスト競争に押しつぶされる事になる。

 夢だった「壁掛けテレビ」を実現したのは、私達の国「ニッポン」です。どう応用するかは次世代の技術者であり、ユーザーである私達の「応用」の作法です。

 Panasonicの技術者の方々と話して驚くことは「応用の種」が研究所や、工場や事務所のあちらこちらに転がっていることです。

 日本のきぎょうにある宝物が見えにくくなっている環境を変えるところから始めましょう。