何時も思うこと。今日思うこと。

日常の「思い」を文字にして残します

日常の「思い」を文字にして残します

SCOT「シンデレラからサド侯爵夫人へ」は・・・

SCOTの「シンデレラからサド侯爵夫人へ」の公演を吉祥寺シアターで観てから、耳の奧でサド侯爵夫人の台詞が鳴っていた。シンデレラからサド侯爵夫人。どんなサド侯爵夫人になるのか興味津々で客席にいたのだが、その集中力は台詞にどんどんぶちのめされて行く。長台詞であればあるほど、ボディーブロウの様に僕の頭の中はドロドロになって行くのが解る。終演後ズタズタになりながら挨拶もそこそこに吉祥寺の街に逃げ出すように這い出た。
しかし、耳鳴りのように耳の奧で台詞が鳴っている。身体を動かさずに台詞だけを発する役者の声が耳の奧にある。
中央線の電車の中でも音楽のように台詞が鳴っている。
あの体験から抜け出るのに少なくとも1週間は必要だった。
Bachのマタイを聞いていても、あの台詞が音楽のように現れた。

演出家の思いをこのブログで読んだとき、その呪縛から逃れられた。
僕たちが役者の台詞を音楽のように聞けない理由は、日常の中に答えがあった。

演出家は、MozartやBeethovenのように僕を日常から引き離していった。
恐るべしこの「動物的エネルギー」

耳鳴りのようなサド侯爵夫人の台詞が消えた頃、利賀は雪が深くなり、音がその中に吸い込まれている。
これも非日常なのか

http://bit.ly/YThJHz
 

何を作るか?「応用」の時代に生き残るために

 日本の製造メーカーは、日本市場の中でのシェアを気にしすぎて、国内競争に目を向けてばかりだった、結果国際競争の相手である海外メーカーと無策の提携を行って、自分の足下を見失うどころか失ってしまった。

 以前、Panasonicのテレビ部門と新しい情報提供システムを構築したとき、僕はIP網でのコンテンツ配信を説明していたときに、担当者が「そんな、方式を採用したらテレビはただのディスプレイになってしまうじゃ無いですか。そんな方式はテレビ事業としては通りませんよ!」と声を荒げて反発した来たことを思い出す。コンテンツは汎用性の無い(日本だけか)BMLを採用してくれと言う。IP網では無く同軸ケーブル上でCATVと同じ仕様で進めたい。

 そのために、安価な装置から高価な放送容器材を使うように仕様を変更してくれと言う。僕は、HTMLで動画からテクストデータまで汎用性のあるコンテンツにして、ディスプレイと化した大型テレビにセットトップボックスではなくパソコンを繫げ、IPネットワーク上でIP管理した、今で言う「デジタルサイネージ」端末を強く押したが、日本のお家芸のテレビでなければこのプロジェクトは降りるとまで言われ、経産省の役人からも「これは国策ですから」と言われ、テレビをディスプレイ化する手法は没になった。

たった、7年前のことである。

 現状はどうですか?スマートテレビと言われるテレビは既にディスプレイ化してるし、動画はインターネット経由で家庭に入り込んでいる。国を挙げての「地上波デジタル化」はコンテンツの貧弱さか、ネット上のコンテンツの大河に飲み込まれて、その存在意義すら怪しくなっている。好きな動画はスマホで見ることが出来る。そんな時代を予感していたのに、「国策」という無策な手法で遠回りさせられた。

 テレビはもう単にネットワークの下流にある「ディバイス」になっている。これから、日本の製造を考える時にこのディバイスをどう「応用するか」という所に力を込めないと、コスト競争に押しつぶされる事になる。

 夢だった「壁掛けテレビ」を実現したのは、私達の国「ニッポン」です。どう応用するかは次世代の技術者であり、ユーザーである私達の「応用」の作法です。

 Panasonicの技術者の方々と話して驚くことは「応用の種」が研究所や、工場や事務所のあちらこちらに転がっていることです。

 日本のきぎょうにある宝物が見えにくくなっている環境を変えるところから始めましょう。

 

集中・集中・集中!

長い間このブログにはご無沙汰してました。
アイスミマセン。GoogleBlogに浮気してました。

 今日の反省として
「僕の長所は短時間で集中できるところで、短所は集中力が長続きしないこと」
長所は結局短所に繫がるのだなあ。

 「雪の存在は、その雪が溶けてしまうとみんな忘れてしまうけれど、その雪の白さは確実にみんなの意識や記憶の中に残っている。」って、これShakespeareだったけ?

 以前、ラジオ番組を制作していた頃「フツーの人へのインタビュー番組、トーク番組を作りたい」と企画書を書いて、その頃の上司に見せたところその直属の上司は「オオ、宝の山かも知れないなあ。ヤレヤレ!」と判子を押してくれた。
その上の営業担当役員に説明したら「そんな、フツーの人に何聞くの?平凡でつまらんぞ。フツーの人はフツーの人の人生だから。こんな企画1年はもたんなあ。ヤメヤメ!」
その番組は実に10年以上続きました。

 現在から過去を振り返ったとき、その人が若かろうが、年を取っていようが、必ずあると信じていること。
「生きていて、白く明るく輝いた一瞬が必ず人にはある。」と言うこと。
部活を一生懸命やって優勝したとき。
好きな人が出来て、初めて話が出来たとき。
入試に受かった時。そして一生懸命受験勉強をしていたとき。
はじめてのプロジェクトに加わり無我夢中で1年間休みも取らずに仕事していたとき。
子供が生まれたとき。
結婚式のその日。
 人それぞれに必ず「白く明るく輝いた一瞬」が必ずあったと思います。
だから僕は役員に言ったのです「このエリアに生きている人の殆どが番組ゲストの対象です。インタビューの対象です。だから、取材対象が無くなることはありません。ずっと続けられます。心配はありません。」って。

 さあ、集中集中!。

暑い日のお昼は「カリー」がいい。

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 今日はひどく暑くも無く、まあまあ「夏」って感じの日です。

今日のお昼は、現代美術の作家、松本三重子さんとランチをご一緒する約束で、早めに事務所付近にまでお迎え頂き、彼女が「いつもFaceBookに出ている『森のオーブン』って何処にあるんですか?」という質問にお答えして、今日は「森のオーブン」へ行きましょう! 

 大野の野菜を使った「レッドカレー」ご飯はゴマ入りの黒ご飯。ピリッとした辛さがこの暑さには良い気持ちになる。

 今日のドリンクはミントを浮かべたIced tea。香りが気持ちいい「夏のお昼」。

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すっかりお腹が一杯です。

「森のオーブン」

場所:http://goo.gl/M6VhE

 

駅前にあってもいいな。こんな機能

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 Swedenの地方の街の話ですが(街の名前を失念した)、この街は高齢者が多くて、福祉が充実してる国とは言え、本当に街の人口の半分近くが高齢者という現実。で、この町をその高齢者の方々が住みやすい街にしようと市民が考え始めた。

 高齢者は健康の部分で不安だから、病院へよく行く。しかし、自分は何処が悪くて病気なのか(あるいは病気じゃ無いかも知れない)を知りたくて病院へ行く。それは「眠れない」とか「足が痛い」とか「動悸がする」とか「食欲があまりない」等の自覚症状から病院へ行こうというのですが、どの病院へ行ったら良いのかこれがわからないので、取りあえず大きな病院へ行く。

 寒い中、バス停でバスを待つのはお年寄りには苦痛だ。そこで、バスが最寄りのバス停に近づくと自宅の電話や携帯に「バスが来るよ」と連絡が入るシステムが考えられていた。

 

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 他に、大きな病院へ行くのに自宅の近所のバス停から、一度街の中心部まで出て行き、そこで病院行きのバスに乗り換える。やっとの事で病院について診察してもらうと、どうもお年寄りが思っていた病気ではなく、痴愚病気のようだと言われる。で、違う他の専門病院を紹介され、再びバスで中心部まで戻り再びバスを乗り換え病院に行く。

 こうしたことが日常的に行われていたので、介護関係者、病院関係者、交通関係者等が集まり「高齢者向けの通院システム」を考えた。結果はこうだ。

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 先ず、バスターミナルに隣接した場所に「事前受診センター」を作る。ここには、当番制で医師が常駐し、訪れる高齢者を診断する。ただ、問診をして、簡単な所見を出すだけ。そうして、その所見を基に適切な病院と医師をデータベースから見つけ、受診予約をその場所から取る。

高齢者はその予約表を持ってバスターミナルに戻ると、そこには街の主な総合病院を巡回する無料のバスが走っている。高齢者はそのバスに乗り、予約された病院まで行き、予約通りに受診する。

つまりこうだ。高齢者は自宅付近のバス停からバスに乗り、中心部のバスターミナルまで来る。バスターミナルに隣接して小さなプレ受診施設を作り、そこで高齢者の健康をチェックして適切な病院を決めて受診を予約し、市内の主だった病院を巡回するバスに乗って高齢者は目的の病院に行き受診する。介添えが必要ならバスターミナルからスタッフが同行する。

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 こうした計画が出来ると、施設にはお金を掛けずに、交通機関との調整、医療機関と行政の調整などを専門のスタッフが行う。

 福井でも駅前の再開発施設にこのような一角を作り、コミュニティバスのハブステーションとプレ受信施設を作り市内の主だった大きな総合病院を結ぶコミュニティバスを運行し高度な福祉施策を行ってはどうでしょうか。

 

だらしない身体から。

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演出家・鈴木忠志氏が言う。

声は身体と同じように、だらしない身体からはだらしない声しか出ない。
言葉は、その身体から劇空間の何処に置くかが大事。その「何処」を身体がわからないと、言葉は空間を彷徨っちまうんだ。

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英文和訳の解答です。

I feel money is very important in life.

It is a means to have a reasonable living.

You need money for that.

 

人生の中でお金は、とても重要なものだと私は思います。

まともな生活を送るためです。

お金があれば、何でもできます。

リーズナブル(reasonable)の意味は?

リーズナブル(reasonable)の意味は?

「この家電品はリーズナブルだね。」「この場所でこの価格だったらリーズナブルだ。」と言うように、「リーズナブル」(reasonable)という言葉は、日本では「値頃」とか価格が手ごろな様を表現する言葉として使われている場合が多い。

ここで、デジタル大辞泉を引いてみると「リーズナブル【reasonable】[形動]論理などが妥当なさま。また、価格が手ごろなさま。「―な値段」」とある。

次に「英辞郎 on the WEB」を見ると

1.〔人が〕理性的な、分別がある

2.〔考え方などが〕合理的な、妥当な

3.〔考え方などが〕中庸な、極端でない

4.〔値段などが〕それほど高くない、まあまあの

値段が「安い」から「高い」順に形容詞を並べると、おおよそ

cheap(安い、粗末な)

inexpensive(高くない)

reasonable

expensive

unaffordable

exorbitant

outrageous(べらぼうな)

となる。

5.〔品質などが〕まあまあ良い、悪くない

6.〔分量などが〕結構多い、まあまあの

とあった。

そしてこんな使い方も

reasonable conclusion=筋の通った結論

さて、次の意味はわかりますか?

reasonable creature (creatureの意味は「動物」とか「創造物」の意味)

理性的な、分別のある動物。そう「人間」という意味です。

「人間」とはそもそも、「分別の有る、理性的な生き物」のはずなんですがね。

 

そうそう、次の英文を訳しなさい。

I feel money is very important in life.

It is a means to have a reasonable living.

You need money for that.

答えは次回に

 

日頃のストレスは、どこで

 連休前だと言うに、僕の「To Doリスト」には連休後の締め切りが幾つも。打ち合わせの時に、へらへら「じゃあ、連休明けには」と言った自分が情けない。天気が悪いと諦めもつくが、天気予報は「晴れのち曇り」の連続。お昼は「休み」で夜「働く」かとも考えたが、最近の傾向では、夜の働き効率が極端に悪くなってきている。つまり「寝てしまう」のです。

 話は変わりますが先日閉店間近の「餃子の王将」での出来事。

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僕は「ニラレバ定食」のモヤシをハフハフ言いながら食べてました。カウンターにサラリーマンらしい(スーツ着てるからね)お客さんが二人別々に入ってきた。テーブル席には4人組のいかにも職場の上司が「今日はおごりや!」というどや顔でビールを飲みながら部下であろう若手に何か仕事上の話を延々と話してる。あんなビール不味いだろうなとおもうが。

さて、カウンターに着いたサラリーマンの一人が早速オーダーを決めて「天津飯と餃子」と「体言止め」で注文すると、マニュアル通りにアルバイトの女の子が「繰り返します、天津飯と餃子1人前ですね」もちろん「そうです、お願いします」とは言わなかった。

女の子はマイクロフォンでオーダーを通す。

もう一人のサラリーマンはメニューをあっちこっち見ながら未だに注文を決めかねている様子だ。右隣の作業服を着た若者が食べているものをじーっと見ながら「炒飯と餃子お願いします!」

同じように女の子は「ソーハンイーガー、コーテルイーガー!」とオーダーを入れる。どうして天津飯の時は「テンチンハンイーガー」とは言わないのかと以前から思っていたのだが、いろいろあるのだろう。

 

「はい、天津飯です。」と女の子が最初に注文したサラリーマンの所へ「天津飯」をスープ付きで持ってきた。彼は、ちょっと女の子を見ながら、無言で器を受け取った。餃子用の小皿にタレを注いでしばらく待っていたように思えた。

彼の注文は「天津飯」と「餃子」だが、餃子が一緒に出てこないので、仕方が無く彼は少しずつ天津飯を食べ始めた。「餃子と一緒に食べたいのになあ~」という気持ちは、レンゲを動かすスピードでイタイほどわかる。

「餃子あがったよ!」奥の方から声がする。さっきの女の子はテーブルの片付けに出ており、かわりのバイトの女の子が「ハイ!」と言いながら伝票を見て、「炒飯と餃子」を注文したサラリーマン席にその餃子と先に上がった炒飯を一緒に運んで行った。

「炒飯と餃子」のサラリーマンは「どうもありがとう!」女の子は「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」と聞くと「ハイ!アリガトウ!以上です!」とハキハキと返事をし、餃子のタレを小皿に注ぎ、アツアツの餃子を食べ始めた。

 

その時だ

「俺の餃子の方が先に頼んだだろうが!どうなっているんだ!」

急に「天津飯と餃子」のサラリーマンが怒鳴った!店の空気がお客さんも少なかったせいもあるが一瞬ピ~ンと張り詰めた。女の子は「スミマセン、今すぐに持って参ります!」というが、悲しいことに餃子を焼く機械は次の回の出来上がりを待つ状態だった。

「おい!どうなっているんだよ!俺の方が先に注文したのに、なんで後になるんだよ!」彼の天津飯はきちっと3分の2は残してあった。

「スミマセン」女の子は謝るだけ。奥からスタッフが出てきて「間もなく出来ますのでお待ちください!」と言ったが彼は

「何で、天津飯と餃子が一緒に出てこないんだよ!一緒に注文しただろうが!フザケンナ!馬鹿にしてるのか!天津飯と餃子だけだと!」

もう既に訳がわからない状態になってきた。僕もニラレバ定食と餃子を頼んだ場合に餃子が先に来たらどうするだろう、どうおもうだろうと考えた。

「はい、餃子出来上がりました!」ああ、これで一件落着だ、と思ったら

「バカにスンナ!店長を呼べ!店長を!店の責任者呼べ!この店は客を差別するんか!本部に電話してやる!全部言うからな!」

既にアルコールも入っていないのに真っ赤顔で大声を出した。

確かに、焼きたての餃子と出来たての天津飯を順番に食べるのはイイ。イイ感じだ。パリっ、モゴモゴ、ツルッお腹が減っていたのだろうな。この時間まで残業だったのかなあとも思った。

「オイ!ナントカイッタラドウダ!セツメイシロヨ!セキニンシャガコタエロヨ!ナンデオレノギョウザガオソクナルンダ!・・・」怒って話すと「外国語」のように聞こえる。

切れやすいとか簡単に言うが、現代社会ではみんなギリギリで我慢してるのじゃ無いかと思う。切れた人と切れなかった人の差はほんのわずかだと思う。ストレス無しで生きて行けるほどの社会じゃ無いのはわかってる。

相撲で言う「徳俵」を自分の土俵にあるかないかでキャパは違うだろう。

僕は大声で車の中で叫びます!「どないせいいうんや!このやろ!」なんて。

あっ、この餃子事件の顛末は、その後を聞くのに耐えられずオアイソしてお店を出ましたので不明です。スミマセンね。